「助けを求めるのは恥ずかしい」「迷惑をかけてはいけない」と思っていませんか?
私もそうでした。精神科の病院で働いていた経験があるからこそ、「こんなことも分からないのか」と思われるのが嫌で、助けを求めるのは恥ずかしいことだと感じていました。
その結果、助けを求められずに一人で抱え込み、病状を悪化させたり、何も変わらない日々を過ごしてしまったこともあります。

おあです。社会福祉士・精神保健福祉士、双極性障害の当事者として活動しているよ。【自己紹介】
助けを求められなかった頃
当時の私は、「自分でなんとかしなきゃ」と強く思っていました。
でも実際には、自分だけで解決しようとするのは無理があり、無理をすればするほど症状が悪化しました。何もできず、ただ自分を責めるだけの日々。孤独の中で苦しみが深まるばかりでした。
きっかけとなった言葉
そんな私に変化を与えてくれたのは、家族と主治医の言葉でした。
母は「あなたを成人まで育ててきたんだから、支えるのはたいしたことないわよ」と言ってくれました。
主治医は「これまでよく頑張ってきたね」と声をかけてくれました。
泣きながら辛さを伝えたとき、「あぁ、一人で頑張らなくてもいいんだ」と初めて思えた瞬間でした。
今の工夫
今の私は、次のように考え方と行動を工夫しています。
- 自分でできることは自分でやる
- 体調が悪い時は、家族に素直に助けを求める
- 主治医には「とても調子が悪い時はすぐ受診する」とあらかじめ決めておく
こうすることで「助けを求めても大丈夫」という安心感を持てるようになりました。
助けを求めることと依存の違い
私は「助けを求めること」と「依存」は違うと思っています。
- 依存:できることもできないと決めつけ、常に人に頼ってしまうこと
- 助けを求める:自分でできることはやり、できない時にだけ助けをお願いすること
だから助けを求めることは、弱さではなく「自分を大切にする勇気」なのだと思います。
助けを求める勇気が大切な理由
病気に限らず、誰にとっても支えを求める勇気は大切です。
一人で悩んで何もしなければ、状況は変わりません。でも、誰かに「辛い」と伝えるだけで、少しずつ違う方向へ動き出すことがあります。
助けを求めるのは恥ずかしいことではありません。むしろ「良い方向に行く可能性」を広げる大事な一歩だと私は思います。
まとめ
私はこれまで、助けを求められずに苦しんできました。
でも母や主治医の言葉に救われ、「一人で頑張らなくてもいい」と思えるようになったことで、人に助けを求められるようになりました。
読者の方に伝えたいのは、「助けを求めることは弱さではなく勇気」 ということです。
一人で抱え込まなくても大丈夫。あなたを支えてくれる人は必ずいます。

